姥捨て山

 こんにちは。オレです。

 遠い昔、小学5年生位の事でした。社会科のテストで「高齢化社会にどのような対策をすればいいか」という問題が出題されました。

 答えは多分、社会福祉の充実云々といったものだったと思います。当時何も考えてないガキにとってはチンプンカンプンな問題で、ほとんどの子が白紙回答でした。

 ただ一人、Y君という子が書いた回答は「姥捨て山の復活」。先生は烈火のごとく怒り、クラスメイトは大爆笑だったのを覚えています。

———– 閑話休題 ———–

 親父の介護をすると決めて仕事を辞めた時、自分自身これからどのようにすればいいのか、どうしたいのかが全く分かりませんでした。

 せん妄が酷く、徐々に人間らしい生活が送れなくなっている親父。それを介護、というより見守りを誰かがしなければいけない。色々な事情を踏まえた消去法でオレがそうするしかなかったのです。

 あれから半年。オレがどのようにすればいいのか、どうしたいかは見えて来てるでしょうか。

 確かに表向きは、嫁やケアマネさんと相談し、介護プランや通所施設の選択等、親父にとって一番いいと思われる選択を続けています。

 でも、心の奥底では冒頭に書いた、Y君の衝撃の言葉「姥捨て山の復活」を密かに望んでいる自分がいます。

 本音で言えば、オレが一番どうしたいかは、この生活からの解放に尽きます。姥捨て山にポイっと捨てる事ができればどんなに楽か。

 オレは無意識に、この闇を葬る為、ブログタイトルに「明るい、楽しい」とポジティブなワードを持ってきた気がします。

 実際は葬れるものじゃないんですけどね(笑)自分のそんなダークな部分も認めないと、聖人君子じゃ介護はやっていけないってもんですぜ。旦那!

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