認知症に対する認知が間違っている

 こんにちは。オレです。

 前回紹介した「認知症革命」。本日やっとその第2回を見ました。今回は認知症になった人がその後どのように過ごすかという事にフォーカスしたものでした。

 日々親父を観察していて、徐々にコミニュケーションが取れなくなっているのを痛感します。親父は結構家族に対して話しかけてきますが、彼が何を言っているのかがイマイチ理解できません。その原因は出てくる単語の数が減っている事だと思います。

 例えば昨日、親父がズボンを穿いた後に懸命に何かを探していました。

 オレ「どうしたの?」

 親父「無い。無い。」

 オレ「何が?」

 親父「ベロベロが無い」

 オレ「ベロベロって何?」

 親父(ズボンを指さし)「これを縛る紐が〇×▲※(聞き取り不能)

 親父はベルトを探していました。「ベルト」という単語を忘れて「ベロベロ」と言い、ズボンのウエストを締めるという事も上手に表現出来ずに「紐で縛る」という言い方をしていたのです。親父の表情や仕草から推理してベルトを渡しても、すでに探した事も忘れたりします。

 こんな事が続くとついつい必要な事は先回りしてやってあげて、親父の気持ちはスルーしてしまいがちになります。オレの中で「物事がスムーズにすすめばそれでいいじゃん、どうせ親父はわからんのだから」という考えになっていたのです。

 しかし、今回はそんなオレの考えを覆すような内容でした。とある認知症の医療施設で重度の患者に作文を書かせたところ、半分程の人がちゃんと自分の気持ちを書いたというのです。

 「物忘れをする自分を周りの人が笑うのが悲しい」とか「家族から怒られてばかりで辛い」とか、かなり切実な心のうちを表した内容でした。

 認知症患者は何も分かってないというのは間違いで、彼らはちゃんと理解しているというのです。

 親父もオレの態度をちゃんと分かっていて、イラついてつい声が大きくなったりすのを「怒られている」と思っているかもしれません。

 こちらが正当な事を言っても、そこを理解できない親父は理不尽に感じ、言い返そうにも言葉が出て来ずに悔しい思いをしているのではないかと。

 番組の中で専門医が「認知症は症状が進んでも“心”は失われない」と言っていました。

 MCの桂文枝師匠の「世間の認知症に対する認知が間違っているのではないか」という発言にドキっとさせられました。1年間、親父の認知症と付き合ってきたのに、オレも間違っていたのかなと。

 深く考えされられた内容でした。

本日のじい様プレート

(すき焼き、銀ヒラスのしょうゆ焼き、ほうれん草のおひたし)

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