頭カラッポでコミュニケーション

 こんにちは。オレです。

 本日、毎日新聞の読者欄に「高齢者の話し相手になって」という投稿がありました。

 数日前の川柳コーナーに「介護ロボ世間話もしてほしい」という句があり、それを見た女性が自分の考えを投稿されていたのです。その方は高齢者を対象にした傾聴(けいちょう)ボランティアだそうです。

 彼女曰く「人はいつでも誰かに話を聴いてもらいたいと望んでいます。話を聴いてくれる人がいるだけで、生きる元気や勇気を生み出してもらえます。」と。

 これを頭の中でうちの親父に置き換えてみました。

 正直、オレは子供のころから性格の違いで親父が苦手でした。何かあれば全部お袋に相談して、親父とまともな話をしたのって数える程しか記憶にありません。大人になってもその流れで親父を敬遠していたのです。

 連れ合いだったお袋が亡くなって10年以上、息子夫婦と同居していても親父は結構孤独だったと思います。オレ自身が親父と向き合っていないから、嫁や子供も同じような感じになってしまっていたのです。

 今考えると親父の認知症が進んだのは、それも理由のひとつだったのかもしれません。オレが仕事を辞めて親父の介護に専念しようと思ったのは、その時は意識していませんでしたが、心のどこかに引っかかりがあったからでしょう。

 今は色々ありながらもコミュニケーションは取れている(?)と思います。日に日に言ってる事が支離滅裂になり、言葉も途切れがちになってる親父ですが、何かを伝えようと話しかけてきますこちらが言ってる事もちゃんと理解出来ているのかは謎で、会話のキャッチボールにはなっていませんが(笑)

 介護生活に入った当初読んだ本の中に「認知症の人と会話する時は、自分も認知症になったつもりで」というアドバイスがありました。

 介護施設で認知症の人同士が、互いに支離滅裂な事を言い合いながらも延々とコミュニケーションを続けているシーンがあるそうです。傍から見れば会話として成立しているように見えるとか。

 話している内容云々よりも、自分の話を聴いてくれる存在、コミュニケーションが取れる存在が重要なんでしょうね。

 オレも心に余裕がある時は、頭カラッポにして(笑)親父の話に相づちを打つようにしています。

本日のじい様プレート

※ジャガイモと手羽の煮物、厚揚げ焼き焼き、餃子

コメント