被爆者の声

 こんにちは。オレです。

 今日8月9日は長崎原爆祈念日。実は親父は被爆者で被爆者手帳を持っています。ただ彼の場合は原爆投下時に長崎にいて直接被爆した訳ではなく、近隣の町から駆り出されて、投下の数日後に現地で救援活動にあたった為の間接被爆です。

 救援活動とは言っても、実際は亡くなった方の遺体運搬の作業だったそうです。オレにその頃の話をした事はありませんでしたがオレの嫁には何かの時に話したそうです。

 焼けて亡くなった方の無数の遺体。正に地獄絵図だったと。恐らく生々しすぎて、子供には話したくなかったのでしょう。それ以前に本人もあまり思い出したくない記憶だったのかもしれません。

 テレビでこの式典で被爆者の方の言葉を聞きながら、親父も認知症になっていなければ同じように安保法案に対する声を挙げていたのかなとふと思いました。

 その夜、デイサービスから帰ってきた親父に原爆祈念式典のテレビ見たか?と聞くと、そんなのは放送してなかったと言いました。連絡帳を見るとずっと施設の中を散歩してたそうです(笑)

 今、親父は30代か40代の仕事をしていた頃の世界に生きてます。10代の頃に経験した辛い記憶はもしかしたらもう出てこないかもしれませんね。

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