大義なき(ある)介護

 こんにちは。オレです。

 最近よく耳にする言葉に「大義」という言葉。大義なき解散、大義なき総選挙等、新聞やニュースでよく取り上げられています。

 どんな意味なのか調べてみると、

 1 人として守るべき道義。国家・君主への忠義、親への孝行など。「―に殉じる」

 2 重要な意義。大切な事柄。「自由平等の―を説く」(ヤフー辞書よりコピペ)

 要するに物事に対する正当な理由という事でしょうね。

 これさえあれば少々不条理と思える事でも、正当化されるものなのでしょう。

 オレは去年、足を骨折して入院しました。骨折箇所以外はまったくの健康体だったので、病院での管理された生活が苦痛でたまりませんでした。

 行動の全てを看護師の方に把握され、先回りされ監視される生活。まるで真綿で首を絞められるような(笑)

 しかし、これは「怪我を治す」という大義があるので、オレ自身も辛抱し、結果無事退院出来ました。

 この時のオレを今の親父に置き換えてみます。

 オレは毎日、親父の行動を監視して、時には口やかましく注意もします。

 全ては「親父に危険な思いをさせたくない。」「人間的な暮らしをして欲しい。」という大義からです。

 しかし、それはオレ自身が思っている大義であり、認知症の自覚が無い親父にとってオレの言動はお節介にしか映ってないでしょう。

 こんにゃろ、子供のくせに親のやる事にいちいち口出ししやがって!と思っているかもしれません。

 自分が正常だと思い込んでいる親父にとって世話をされる大義は存在しないと思うのです。

 このように、介護される側とする側の温度差を少しずつでも縮めていく事が、これからのオレと親父の課題なのでしょうね。

 今回は時事を絡めて、賢く見せようとしたオレの下心見え見えのような記事になってしまいました(笑)

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