こんにちは。オレです。
先日、テレビを見ていたらタレントの武田鉄矢氏が興味深い事を語っていました。
武田氏曰く、とあるおばあさんが認知症を発症し徘徊をしだした。医師と家族が、おばあさんの言動や過去ついて調べてみたところ、彼女は徘徊をしているのではなく、二十歳の頃、ご主人と結婚して最初に暮らしたアパートへ帰ろうとして、道が分からず彷徨っていただけだったとの事。
彼女は二十歳の頃の世界を生きているらしいのです。他の人間が現在を生きている中で、遠い過去を生きているおばあさん。認知症患者の中には、令和の世の中でも昭和を生きてる人がいるのです。
といった内容を「いいですかぁ~~~」と金八先生の口調で熱く語る武田氏。テレビの前でオレも「うんうん!金八っつあん、わかるよ~」とすっかり3年B組の生徒になって聞いてしまいました。
認知症の人に見えていないものが見えたり、聞こえない音が聞こえたり、それを幻視・幻聴と片付けてしまっていいものだろうかとオレ自身も思います。
生きている時間が違えば、それらは幻ではなく現実なのです。
うちの親父も、以前程は多くありませんが見えないものが見えたり、存在しない場所に行こうとしたりする時があります。
それはずっと続くのではなく、時間が経てば収まります。きっと親父はタイムスリップして生きる時間を一時的に移動しているのでしょう。
だから、頭ごなしに親父の言動を否定するのではなく、今の時間に戻ってくるのを待ってあげなくてはいけないなと思います。
今、オレが生きている時間も、もしかしたらオレだけにしか見えていなくて、世間ではまったく違う時間が流れているかもしれません。
どちらがリアルタイムなのかは、誰にも分からないのかもしれませんね。
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